母の闘病日誌(5)

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母の闘病日誌(4)の続き
ここまで母の闘病を整理しておくと

・A総合病院に二十数年来、更年期障害・大腸ポリープ等で3名の医師にかかっていた。

・H16年2月、突然の大量血尿でB個人病院にて診察、膀胱癌で余命2ヶ月から半年と診断される。A総合病院での再検査を促される。

・B総合病院で膀胱癌の手術、手術は成功し、命を取り留める。

・術後に認知症、パーキンソンの症状が現れ始め、体力的には杖なしの歩行も困難状態まで悪化。A総合病院にてうつ病と診断される。A総合病院の医師に精神科への入院を促される。

・C病院に入院しリハビリをスタート。食事療法で薬も減らしてもらい、3ヵ月後には体力もうつ病も回復した。

12月の最初の日曜日だった。12時ごろ病院から電話が有った。

「お昼の食事に出てこないので病室に行ったら、胸が苦しいと言ってました。今日は、副院長も休みで直に救急医療センター(以下D総合病院)へ搬送しました。そちらの病院へ向かってください」
そのD総合病院は、隣の市にある。大物大臣のグループ会社が経営する個人病院なのだが、県の救急医療センターを併設で運営している。

私が病院に着いた時は既に1時を回り、C病院から付き添ってくれた看護士が私を待っていてくれた。既に検査が始まっていた。
暫くして担当のN医師が説明に来た。心筋梗塞の疑いがあるので直にカテーテル手術を行ったほうが良い。そして手術の危険性が数パーセント、手術が巧くいっても合併症を起こし脳梗塞などを起こす危険性が数パーセントと説明が始まる。同意してくれと言うのだ。

私は躊躇した。

なぜなら、私の友人のお母様がここの病院で院内感染を併発し、病院側ともめている内に、病院の退室を余儀なくされ、結局併発した肺炎が原因で亡くなるいう不幸に見舞われていたからだ。この事は週刊誌にも載ったし、担当医を訴えて裁判沙汰にもなった。

私は単刀直入に聞いた、
「この手術の危険性は分かりました。ところでその数字はいったい何処の数字なのでしょうか」、
「全国平均です」、
「では、D病院の数字はどうなのでしょう。そして大変失礼ですが、N先生のご経験と成功率をお聞かせ下さいませんか。生死に係わる問題ですから」
「ここの病院は全国平均より低いです。そして私は、今まで失敗の経験はありません。」
「分かりました。しかし先生、もう少し時間を下さい。母の主治医とまだ連絡が取れていないのです。主治医の先生にも相談したいのです」
私の警戒心はまだ拭えてなかったからだ。

直にC病院に電話を入れ、母の症状と副院長に連絡を取りたいことを伝えた。
休暇中でなかなか連絡が取れなかったようで1時間ほどしてやっと携帯に連絡が入ってきた。
母の症状を伝え、私がいまいち病院を信頼していないこと、生死に係わる手術の説明を他の患者も居るロビーで、それも立ち話で聞かされたこと等、不安材料を伝えた。
すると副院長は、「私の病院はD病院を全面的に信頼しそこへ搬送しています。少しでも早く手術したほうが良いので立ち話をされたのではないでしょうか。木村さん、手術を受けられた方が良いですよ」
と言ってくれた。
副院長にそこまで言っていただければ、あとは何も躊躇することはない。

「N先生、先程は大変失礼なことを申しました。先生を全面的に信頼して手術に同意します。どうぞ母を宜しくお願いします」
早速、母の手術が始まった。あとで聞いたが心筋梗塞は、早ければ早いほど、成功率が高いそうだ。
手術は無事に終わった。
あとは1週間以内に合併症が併発しなければ大丈夫だ。
術後にN医師に呼ばれ、手術の経過説明を聞き全て巧くいったことを告げられた。
しかし、そこで医師はレントゲン写真を見ながら、
「肺に少し影が見えます。念のため退院したら肺の検査も受けてみたらいかがでしょう」
と気になることを言った。

母は、無事1週間で退院できた。
C病院の素早い対応とN医師のお陰で一命を取り留めた。
もし、11月の時点で母をC病院から退院させていたら、私たちでは発見が遅れ、母は自宅で亡くなっていたかもしれない。ほんとに強運の持ち主だ。

退院後、一旦自宅に帰ったが直にC病院に再入院させていただいた。ここに入院させていただくのが一番安心なのだ。母もここの病院に居たお陰で生きていられたとそう思っている。

副院長に肺に影があるので再検査を薦められたことを話すと、ここの病院でも定期的にレントゲンは取っているが気が付かなかったと恐縮していた。
それくらい見落としがちな影なのだろう。
ところがその再検査でとんでもない事が発覚した。

母の闘病日誌(6)へ続く

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このブログ記事について

このページは、木村知弘が2005年12月 6日 14:47に書いたブログ記事です。

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