行ってみたいと、思いませんか?うっふ・ふ~

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yousui.jpg糸田町に井上揚水にちなんだ公園が出来るそうです(1/14日西日本新聞記事参照)。揚水の歌「夏まつり」の歌碑も建立されるそうです。
陽水さんといえば、メジャーデビューは、アンドレカンドレって芸名でした。曲は、マンドレ・カンドレ。
インパクトありすぎで忘れることは出来ません。歌も「マンドレ・カンドレ」を連呼してたような記憶があります。
デビューのときは、田川にも来てます。私の会社の前進「キムラ楽器店」が、まだ後藤寺商店街に有って、店頭にビールケースかみかん箱かを重ねて、そこで歌ったそうです。私はまだ小学5年生だったので興味がなく、見逃しています。今考えればもったいない話ですね。
その後、私が井上陽水に興味を持ったのは、中学になってアルバムを買うようになってからです。それも陽水さんのアルバムが初めて買ったレコードアルバムでした。
当時、ヤマハがシステムステレオをピアノと抱合せ販売をやっていて、キャンペーンでステレオを仕入れないとピアノを出荷してもらえない時代があったんですね。それで我が家には、結構早い時期からステレオがあった記憶があります。
私の印象深かった曲は、「傘がない」「東へ西へ」「能古島の片想い」「あかずの踏み切り」「氷の世界」等、やはり初期の作品に集中しますね。陽水さんの独特の詩の世界に引き込まれてハマっていました。
でも、残念だったのが、どのアルバムだったか、陽水さんのプロフィールに「福岡のある町に生まれて・・・」みたいな、出身を田川だって書いてなくて、私にしてみれば郷土の誇りみたいに崇拝している人が、郷土を愛してくれてないんだな~って寂しい思いをしたことがあります。
それが、今回の井上陽水の公園でしょ。これはほんとに嬉しいことですね。糸田町は夕方5時になると「少年時代」が、町のスピーカーから流れる徹底ぶりです。
陽水さんの公式ホームページには、シングル曲にそれぞれエピソードが書かれていて面白いですよ。
http://www.garakuta-net.com/~yosui/index2.htm

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読者情報です。 以前、糸田町が井上陽水さんにちなんだ公園を造る記事を紹介しました... 続きを読む

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キムラ編集長、この記事に注目してくれてありがとう。
いち早く伊藤良克町長に夏祭りを歌わせてくれと直談判したところです。
陽水の歌は10代から歌っています。今はシンガーソングライターとして自分の曲が中心ですが、メロディが簡単に浮かばない初歩のころは彼の曲のコピーがもっぱらでした。ちょっとレベルの高い方々はビートルズを信奉していましたが、私はフォークから日本の民謡、と言っても島歌ですが、地味にやっていました。地味の権化はそれこそ陽水。歯医者の受験に失敗し、根暗の性格がますます根暗になっていたと思います。私も当時公立高校では日本一と言われた東京都立戸山高校から医学部に進もうとしていましたが、挫折して絶望のふちにいました。そんな彼の境遇が私を映しているような気がして、何か気が休まりましたね。
 彼の父親も60代でなくなったようですが、私の親は43で私が15の時です。氷の世界ですか、彼の父の危篤電報をうけて彼が作った歌がありましたが、島から出てきて一人で世田谷の下北沢で下宿生活していた時、私もいつ来るかわからない父危篤の電話が恐ろしかったですね。そんな息苦しい高校生活を送っていました。まじめに育ったのは、母親の踏ん張り、存在ですよ。キムラ編集長が母親の闘病日記をつづられていることに感動しています。
  
            シンガーソングライター
               さくらい英夫

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このブログ記事について

このページは、木村知弘が2006年1月18日 23:42に書いたブログ記事です。

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