今日、母が4度目の生還を果たした。74歳である。
この1年8ヶ月の間に3度の癌手術と心筋梗塞の手術を行った。
今回は内視鏡手術とあって部分麻酔。4度目ともなると母も堂々としたもので、にこやかにベッドに乗って手術室へ・・・。そしてまた何事も無かったようににこやかに無事戻ってきた。
母は今、度重なる癌と闘っている。
一昨年の2月、余命2ヶ月から半年と言われた。
でもまだ母は生きている。
もしかしたら奇跡なのかもしれない。
その間、有能な医師によって、母の手術は、全てうまく行っている。
そんな母の闘病を、他の癌と闘っている方々の為にも書き記しておくことにした。
平成16年2月、母は突然、大量の血尿を出し、慌てて近くの泌尿器科へ診察に行く。
母は、一人暮らし、父も永年の闘病で入院中であった(今年7月に他界)し、昼間は、私の会社に顔を出し仕事を手伝ってくれ、夕方には一人で家に帰るという生活を長く続けていた。
泌尿器科に行ったのは知らされてなく、突然病院から電話がかかり、初めて病院に行っていることを知る。
とにかく直ぐに来てくれと言うのである。
院長の説明は残酷なものであった。
膀胱の中一面に癌が出来ていて、おそらく2ヶ月から半年しか持たないだろうと言う。
念のため、自分の息子が総合病院に勤務しているからそちらでもう一度診察してもらってくれと言われた。
直ぐに兄弟にも覚悟を決めておくように電話をした。
総合病院で診察を受けた結果、
“かなり大きな癌になっている、但し、幸い膀胱の中なので膀胱の壁に癌が深く浸透していなければ、大きくても内視鏡手術で少しずつ切除が出来るかもしれない”
と言うのだ。
壁に深く浸透しているかどうかは、やってみないとわからないとも言われた。
高齢なのも気がかりのようだ。
弟と相談し、母に手術を促すことに決めた。
母を説得する。
「膀胱に悪性の腫瘍が出来ている。このままほっとけば後何年生きられるか分からないと言われた。手術をすればまだまだ生きられるかもしれない。お母さんガンバってみらんね!」
母の闘病日誌(2)へ
「癌」と言うと不治の病のような認識がありますが、治療器具や医療技術の進歩によりその認識は変えられつつあります。
そうしたなかでの「告知」の問題は本人や家族の受け入れ、対応など未だに難しいなってつくづく思います。
「お母さんガンバってみらんね!」
いい言葉ですね。
私の父も7年前、胃の中に隙間が無いほど大きな癌になっていると医者に言われましたが、癌が深くなかったせいで元気になり、去年亡くなりましたが、最後は癌とは関係ない病気でした。
妻も昨年癌の手術をしましたが、元気で生活しています。
現在の技術は昔の癌のイメージを変えたと思います。
お母上もきっと元気になられることでしょう。
愉快団ps
acsecさん psさん
コメントありがとうございます。
母はおかげ様で、まだまだがんばれます。
しかし、友人のお母様は亡くなられたりと、心中察すると手放しで喜ぶにはいきません。
しかし、今後書いていきますが、闘病中の皆さんに参考にしてほしいことが一杯あるんです。