ルーツが気になる

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自分自身が認識できる世代は親、祖父母、子、孫の前後
3代までで、よほど運がよくても、曽祖父、ひ孫の4代まで。
今を生きるだけでも精一杯なのに、子々孫々のことに思いを致すことなどナンセンスと思われるでしょうが、皇統2600年世界に例のない系譜の存在は日本という国家が確かなものであるとの証でもある。
 中東では、イスラエルとパレスチナが国家の存亡をかけて正にリアルタイムでしのぎを削っている。世界史とは国家存亡の歴史を学ぶことであり、日本という国家を意識することである。この真理、原理を高校時代に世界史の教師がもっと強く訴えていれば世界史という教科の重要性を認識できたかも。まーそれもこれも、17歳当時未熟ゆえに自分自身で認識できず、なんとなく受身で授業をうけていたということである。教師のせいにしてもはじまらない。
 さて、東京諸島の神津島から九州に戻ってきた?さくらい英夫は島に在住当時からルーツが気になっていた。言い伝えでは関が原の合戦で敗れた石田三成の残党が逃げてきて石野田或いは松江と姓を隠し住んだとのこと。証拠は一切存在しないし、本格的にこのことを確かめようとした学者も郷土史家も今のところいないので全く考証されていない。
 神津島の人たちがどこから渡ってきたのか。少なくとも5代以上は島に住んできたであろう私の祖先石野田についていつか考証してみたいと思っているが、昨日剣道の合宿で佐賀の武雄に行ったときのこと。60ぐらいのおばさんが「この柿カラスが食べんろうか」鹿児島ナンバーの車の一行のイントネーションを耳にした時言葉の響きが驚くほど神津島弁に似ているのだ。宮崎県に石野田という地区がある。島の菩提寺濤響寺の建物の一部に隠れキリシタンを暗示させる彫刻が確認されたようだが、キリシタンの伝播は九州からであり、石野田一統が神津島に入植する際、キリシタンを持ち込みその後に濤響寺が入ってきたのではないか。
 そもそも人間の営みは偶然と必然が入り混じっている。いろいろな事象を必然と捉える考え方は宗教的であろうが、理性を持った動物
人間ならではの価値観の世界である。これからなぜ私が数世代を経て九州に舞い戻ってきたのか、そのルーツを探ってみたいと考えている。
 温故知新は政治家としても必須の感性、感覚だろう。
              平成17年11月28日


               元東京都神津島村課長補佐
               前川崎町町議会議員
                         さくらい英夫

コメント(7)

はじめまして。
私の苗字は石野田です。
珍しい名前なので、昔から自分のルーツというのが
とても気になっていました。
我が家はもともと宮崎の西都の出らしいのですが、
あまり詳しいことは知りません。
櫻井さんの記事を
とても興味深く読ませていただきました。
西都は昔、神様がいたという言い伝えがあるらしく、
神津島との関係もあるのかな、と思います。
もしかしたら、櫻井さんの祖先と私の祖先は
繋がってるかもしれませんね。
長くなってすみません。それでは(^.^)

興味深い話ですね。
akoさんと櫻井さん、きっと祖先でつながりが有るような気がします。
このブログで知り合ったのも偶然じゃないような気が・・・

私の祖先は、代々、田川です。
猪位金と川崎の境にある永井一帯が、先祖代々の土地だったそうですが、農地改革で小作の方々に全て明渡したそうです。
本家に行けば、何でも300年前までの系譜が有るとか?
見たこと無いですけどね。

でも更に逆のぼれば、私の先祖は、南方系ですね。
いつも鹿児島出身?沖縄出身?って言われます。顔がでかくて濃くて短足ですからね。
ところが、妻は、どう見ても色白で腰も高く、北方系。
二人の間に生まれた息子たちは、どちらのDNAが強いか、はっきり分かります。
息子たちは、皆、私のDNAを嫌がるんですよ。
長身、足長、小顔に憧れますよね。

AKOさんのコメントに気がつくのが遅くなってすみません。まだまだメールへ初心者です。あなたのお陰で神津島の石野田と宮崎西都と石野田の関連性の可能性がわかるような気がしてきました。
このメールに気がついてくれてもし良かったらメールを下さい。アドレスは
  sakurai394@ybb.ne.jpです。いずれ西都には調査に行こうと思っています。

    シンガーソングライター  
       さくらい英夫

はじめまして。
携帯電話でなんとなく自分の名前を検索してみたらここに至りました。僕の苗字も石野田といいます。今は愛知県に住んでいますが、僕の3代上の曾祖母にあたる石野田 金さんという方が神津島から鎌倉へ出て後に各地方へ広がったという話を聞いたことがあります。金さんの娘(僕の祖母)は7人姉妹だったとのことでひろく石野田は広がったと聞いておりますが、姉妹がみな苗字を残したままの結婚をされたかどうか存じません。7番目の末の娘である僕の祖母は苗字を残しており、今僕が受け継いでいるわけです。
この話は、ルーツと呼ぶにはあまりにも若すぎるとは承知の上ですが、もし不明確なものの一部にとでも役立てたら幸いです。不規則的に点在する石野田をみかけたら、それは金さんの家系かもしれませんしね。それらの方々はやはり神津島にルーツがあるのだと思います。

さくらいさんの記事はとても、興味深く読ませて頂きました。

僕自信、自分の名前のルーツがあるなら知りたいものだと思っていたので、さくらいさんの活動にはこれからも関心を向けていきたいと思います。

拙い文章でしたが、応援をしているということが伝われば幸いです。
それでは失礼しました。

はじめまして。
鹿児島県に住む石野田 仁と申します。
私も自分のルーツを探して研究しています。
先祖は藤原氏の流れで、藤原篤如とされています。
藤原篤如は天慶4年、京から南九州に下向し、霧島神宮の神領の租税を扱う職となり、その後苗字を税所と改め子孫がこの地方の豪族となった。
戦国時代、税所氏は島津氏との戦いに敗れ、苗字を変えて、
島津氏に仕えた氏もあるという。
石野田もその例だろうか。
島津義弘公に仕え、義弘公の没後、現在の地に移り住んでいる。
なぜ、石野田姓なのか。を研究しつつ祖先を調べていこう
と思っています。

石野田仁さん、石野田さん、コメント有難うございました。石野田のルーツをいまだにしつこく気にしております。石野田姓の集積はおそらく神津島が一番でしょう。神津から石野田が全国に出て行って広まったとしたら何か因縁がある。神津の世帯は少ないのに石野田はとりわけ頭脳明晰が多い。比較的知能の高い遺伝子を有しているようです。
愛知県の石野田さんもしよかったらさくらい英夫に連絡してください。私の素性はインターネットで調べることが出来ます。
     シンガーソングライター
      川崎町議会議員
        さくらい英夫

石野田仁さん、石野田さん、コメント有難うございました。石野田のルーツをいまだにしつこく気にしております。石野田姓の集積はおそらく神津島が一番でしょう。神津から石野田が全国に出て行って広まったとしたら何か因縁がある。神津の世帯は少ないのに石野田はとりわけ頭脳明晰が多い。比較的知能の高い遺伝子を有しているようです。
愛知県の石野田さんもしよかったらさくらい英夫に連絡してください。私の素性はインターネットで調べることが出来ます。
     シンガーソングライター
      川崎町議会議員
        さくらい英夫

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このブログ記事について

このページは、木村知弘が2005年11月28日 10:40に書いたブログ記事です。

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