母の闘病日誌(3)より続き
母が入院したのは、老人病棟で認知症の患者さんもかなりいるようだ。その病棟だけで40~50人ほどいらっしゃるのだろうか。
入院するに当たり、母の抵抗は無かった。母も知ってる先生であったし、「ここに来たら、歌をうたったり、散歩したり、花を植えたり出来るよ」「面白い人達もいっぱいいるよ」と先生が声をかけてくれた。
母のリハビリがスタートした。
一日の日課は分からないが、たまに覗きに行くと、軽いストレッチや、カラオケ大会、お誕生会などをやってくれていた。3食、決まった時間に食事が取れるのも母は気に入ったようだ。
部屋は4人部屋で、人との会話をあまりしなくなっていた母だが、1ヶ月もすると他の患者さんのことをよく話してくれるようになった。
顔のむくみが消えた。
2ヶ月経った頃にはよたよた歩いていたのが、前のようにまっすぐ歩けるようになった。会話も全く以前のようにとはいかないが、かなり回復している。
3ヶ月経った11月である。もう完全に回復しているように思える。
私は母に尋ねた「お母さん、もう前みたいに元気になったみたいやけど、もうそろそろ家に帰るね」
すると母は「(病院に)帰れって言われれば帰るけど、あったたかくなる春まで居ても良いような気がする」
なんと母はすっかり病院の生活が気に入ってしまったようだ。ここに居れば一日中話し相手もいるし、3食まかなってくれるからである。
家に帰れば、ヘルパーさんが手伝ってくれるものの、買い物も料理もしなくちゃならない。
しかしここは老人ホームでもグループホームでもない、病院だから、それは無理かなと思いながら、診察のあと、副院長に相談してみた。
「思ったより回復が早くて良かったですね」
「先生ありがとうございます。全く以前の母に戻りました」
「先生、相談があるのですが、母が春先までここに居たいって言ってるんです」
「病院を気にいると言うのも困った話ですが、良いですよ。他の病院みたいに追い出したりしませんから」
実は、この時の病院の配慮が、2度目の母の命を救うことになるのだ。
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