母の闘病日誌(2)より続き
手術後、母は、毎日通っていた私の会社には来れなくなった。
術後の経過は良く、順調に回復したのだが、気力がうせてきて、毎日テレビを見ての生活に変わっていった。
術後1ヶ月もすると、明らかに言動がおかしくなり被害妄想が出るようになった。
内科にかかっていた先生が、脳のCTスキャンを取って調べてくれると、認知症が進んでいると言う。
2ヶ月たった頃には、体力も衰え、パーキンソンが現れ手が小刻みに震えだす。
この頃には、目は虚ろになり、何一つ自分でしようとはしなくなった。
歩行にも障害が出始め、杖をつかないと歩けないようになってしまった。
母は、元々、耳鳴りや尿が出にくい、血糖値が高い、大腸のポリープ手術等、ここの総合病院には、定期的に通い、3名の医師に付いていた。
何れも確たる治療は出来ず、更年期障害と言うことで薬を服用しながら症状の進行を抑えている状態だった。それぞれの医師から薬が出るので、大量に服用を続けていた。
それに加えて、今回の膀胱癌手術で、更に抗癌剤の服用が増えたわけである。
パーキンソンの症状が出始め、明らかに体力も気力も衰え始め、精神的にもおかしくなっていく母を見かねた私は、思い切って内科の先生に告げる
「先生、薬が多すぎませんか」
担当医は、「それぞれの先生方が必要と思って薬を出していますからね」「かなり強い薬も服用しています。それを少し減らしてみましょう」
それから2週間経った頃、母の手の振るえが少し収まってきた。
私は、やっぱり薬が強すぎるんだと確信した。
次の診察のとき内科の先生が私に進めてくれる
「お母さんはうつ病です。ここの病院には精神科がありません。思い切って精神科のある病院に入院させてあげた方がいいかもしれません」
この先生の助言に感謝している。
このままここに通院しても回復しないよ、と暗に促してくれたのである。
既に癌手術から4ヶ月が経過していた。
私は精神科のある病院に相談に行った。
そこの副院長に、今服用している薬をもって母を診察に連れてくるようにと言われ、数日後、再度病院へ行った。
総合病院の内科の先生が、それまでの母の経過を克明に記した手紙を書いてくれた。
それを見ながら、
「お母さんは、色んな病気を持っていらっしゃって、今まで色んな薬を次から次に試していますね。確かに薬が多いようです。」
「私のところに入院させてあげなさい。出来るだけ薬を減らすよう食事療法してあげましょう」
ベットの空きがあるまで待ってくれと言われ、ようやく母を入院させてあげられたのは、9月始め、既に癌手術から半年が過ぎていた。
ここから母の驚くような回復が始まった。
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