神津島の石野田のルーツ判明か

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石野田akoさんから、私の「ルーツが気になる」を読んで頂きコメントを寄せてもらいました。1月5日付けのコメントでした。
そこには、その方が宮崎西都の出身らしいことがかかれておりました。これは重大なコメントです。私の仮説は昔島にいたころも今の今までも聞いたことが無いからです。神津島のルーツは、古文書が無いため全くわかりません。聞くところによると、全村を焼き尽くす火災が2度、3度あったそうで、古文書の類はすべて焼きだされたといわれています。石野田の血統はどういうわけか、頭が良いのです。学問の理解力が高いのです。
 ざっと田川の電話帳を見渡しましたが、石野田姓は只の一軒も存在しません。平凡な苗字ですが、どうしてでしょうか。石田はごろごろいる。中に野の字が入っただけで皆無になると言うことはいつの時代かに何かの原因で突然作られたと創造できます。
島には、石田三成一統の隠れ姓の伝説があります。長野県の佐久市には神津姓が集中していますが、神津島に隠れ住んだ武士が本土に帰った時、神津を隠れ姓にしたとの話も伝わっています。これは早速宮崎の石野田地区を訪ねて見る必要があります。
 akoさん子の投稿気がつきましたら、連絡を教えてください。
   
     さすらいのシンガーソングラタイー
        さくらい英夫 元神津島役場課長補佐

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このブログ記事について

このページは、木村知弘が2006年1月16日 21:41に書いたブログ記事です。

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