1月27日付けで“Takahashi”と名乗る方(おそらく本名ではないと思います)からとても残念なメールが届きます。
1月16日の共同通信発表「韓国人のビザ免除恒久化へ 3月から日本政府」を引用し、「緊急警告!子供が危ない!」とのメールです。
私が、運営している後藤寺小学校PTAブログを見てのことか、私がPTA会長をしていると知ってメールを下さったのかは不明です。
この方は、凶悪犯罪者=在日朝鮮人と、犯罪者の実名を挙げているサイトを2つ引用し、韓国人は犯罪者が多いからビザ免除して旅行者が増えると犯罪が増える、それも子供を対象にした犯罪が増えると言いたいようです。
在日朝鮮人の犯罪率と日本人の犯罪率を調べたのでしょうか?
確かに戦中戦後と生きるか死ぬかの虐げられた環境下の中で、食べるために犯罪に手を染めた方もいたかもしれません。でも現在の犯罪率を調べたのでしょうか?
仮に在日の方の犯罪率が多いと仮定しても、それがなぜ韓国人は犯罪者が多いと結論付けるのでしょうか?
その根底には、差別意識が有るとしか思えません。大変残念なことです。
昨年、韓国から22名のホームステェイを受け入れた際、引率者の方と相互理解の為、出来るだけ多くの会話の時間を持ちました。
私の「韓国の方は、日常の挨拶でも先ず『ご飯食べた?』『お腹すいてない?』って言うんですね?」との問いに「韓国では、ほんとうにその日に食べる物がなくて、みんなで助け合って生き抜いた時代が有るんです。その時に身に付いた挨拶が今でも習慣になっているんですよ。」と答えてくれました。
韓国の方は、友好的でフレンドリーな方がとても多いです。挨拶の中にも相手を気遣うような民族なんですよ。
国家レベルでは、今尚、靖国問題で外交に軋みがあり進展が見られませんが、民間レベルでは、着実に両国の友好関係は進んでいます。
私が幼少の頃は周囲の大人達は確かに在日朝鮮民族の人達を人種差別していたような気がします。
何故その人達が遠く祖国を離れて日本に居なければならないのかについて思考する事もなく、また、明確な根拠もなく、ただただ差別していたのです。
その様な環境の元で育った私の中では誤った思考の枠組みが出来上がっていました。
でも、歴史を学び在日の韓国の人達と知り合う度に私のパラダイムの誤りに気づくようになったのです。
今考えてみれば当時は単一民族としての日本人が敗戦後の辛い時期に朝鮮民族の人達を差別する事によって優越感を味わいながら生きてきたのでしょうね。
私たちの価値観が低かったのですね。
でもTomoさん達が取り組まれている民間レベルでの交流は本当に大切な事と思います。
価値観や宗教や人種を越えて地球上の人達が自由に仲良くなれる理論は必ずあるとおもいます。
朝鮮差別、偏見の件。全く同感です。
どうしてそんな精神構造になってしまったのか、情けないことです。
政治的には、それは色々あります。過去の戦争、植民地支配など゛国家単位で考えれば友好的な要因は多くなくて、むしろいがみ合う要因ばかりが多い。だからこそ、双方に大人のつきあいが求められるのです。
さて、私が生まれ育った神津島は江戸幕府直轄の天領で且つ流刑の地でした。主に政治犯、宗教犯が流されました。その墓地は島民と区別され流人墓地として今日まで残っており、数百年間島民が守り、供養してきました。
その中におたあジュリアと言う豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に拉致?されてきた娘がおり、大奥で家康の寵愛を受けたが、キリシタン禁教令で処罰され、伊豆諸島を転々と流され神津島で
亡くなったと言う言い伝えがあります。
その墓は宝塔様とよばれ、流人塚の中でも特に大切に守られてきました。
それがご縁で今から35年ほど前から、日韓のクリスチャンが中心となって慰霊祭、ミサを行ってきました。そのお膳立ては
島民がしてきました。
また、島に赴任する日本人の医師が無く、台湾出身のユウ先生が暫くの間神津島診療所の医師として、藪医者と陰口をたたかれながらも日本人医師の敬遠する離島医療を支えてくれました。 さらに、緊急ヘリコプターには医師の添乗が欠かせませんが、これまた日本人医師が敬遠する中、私の友人の在日朝鮮人で三ノ輪病院院長梁先生がわが身の危険も自身の病院もさておいて、島民のために添乗してくれています。
神津島の人々は朝鮮半島の人々に敬意や感謝の心こそ持っていても、差別意識は聞いたことがありません。
この差別意識の解消は、差別撤廃の貴養育も大切でしょうがひとえに具体的な交流による相互理解しか方法はないと思います。
私はかつて神津島でやっていたような日韓共催の祭りを田川で開催することを提案します。将来、私も中心となってそんなイベントを企画したいと思います。
まずは、私がプサン祭りに出かけていって友好関係を作りたいと考えています。
キムラ編集長、ぼやきも良いですが前向きに差別偏見意識を共に駆逐していきましょう。
シンガーソングライター
さくらい英夫
人種差別も部落差別も根本となる原因は何でしょうか。
何か弱い者いじめとも繋がっているような気がします。
人間の心の奥底に潜む自己の醜さや弱さを封じ込み隠すために他人を差別したりいじめたりすることによって優越感に浸り自己を誤魔化しているのではないかと思います。
差別の根っこはいじめ、これは動物のもってる本能かもしれません。動物と人間の違いはひとえに理性にあります。理性は教育と養育で身につく教養によっては育まれます。
しかし、どんな教養人も欲望には勝てません。差別は人の本能との戦いです。しかも、自分を捨てなければ達成できるものではありません。悟りとで申しましょうか。
どんなにえらい坊さんも武道家も到底悟りにいたることは出来ません。
ならばどうすべきか。ひたすら心がけ気がついたら反省するしかありません。
私たちはいじめの加害者、被害者双方になりうるわけです。
この私も議会で積極的に発言すれば町長をいじめるとなるし、同僚議員からは嫌みを言われいじめられます。そして有権者からもよそ者だと言われいじめられます。
大なり小なりいじめはありますが、そんな事例に遭遇した時は毅然として対応すべきと思いますし、対応できない人を見つけたらはみんなで守って挙げなけれなりませんね。
さくらい英夫
はしさん、櫻井さん、コメントありがとうございます。
一番近くにあって、一番遠い国と言われた韓国ですが、今は、本当に近い国になりつつあるのではと思います。
2003年に日本の子どもたちを韓国にホームスティのため引率して行った時のことです。
夜の宴席で韓国の保護者の方に励まされました。
「日本が韓国にやった歴史的事実は決して消すことも出来ないし忘れることも出来ない。そのことで今だ苦しんでいる人達も沢山います。でも子ども達には一切関係の無いこと、子どもには責任はありませんし、追わせようとも思わない。私たちの世代で怨恨は終わりにしましょう。子どもたちの未来の為に、良き友好関係のために私たち親が、今、一緒に頑張りましょうよ」
私は、感動で涙が止まりませんでした。
いい話ですね~
人間”我”があるからでしょうか?
でも・・同じ”人”として、穏やかに話しはできますよね。
一人でもそんな方が増えると、幸せになんですよね
ボクは以前、佐賀で催された『炎の博覧会』のイベントに参加させていただいたことがあります。炎⇔陶磁器⇔韓国といった日韓交流のつながりで佐賀で開催されたと記憶しております。出番待ちで韓国慶尚南道の慶南民俗芸術団の方たちと一緒になり、すこしお話??(手振り・身振り)させていただきました。ほんのひとときでしたが文化を通じて交流が出来ました。
それから10年、韓流ブームでさらに両国は近づいたと思います。これがブームに留まらず、また輪がどんどん広がればなと思います。そんな時に水をさすというか時代逆行の考えを持つような方がいるのは全く情けない限りです。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」です。
下記は麻生太郎(現外務大臣)の平成15年5月31日の東大における講演会においての質疑応答です。
質問
中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。
【麻生太郎氏】
歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。
たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が
出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。
これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。
そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。
ついでに、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったらもっとすごい騒ぎになった。その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。
あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。
やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。
以上
筑豊選出の麻生太郎外務大臣の考えは皆さんはどう思われますか?
今も謝罪することなく、日本の首相を目指しています。
私は、この麻生太郎外務大臣が存在する限り差別は絶対に無くならないと思います。
よく勉強しなさいよ