母の闘病日誌(6)

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母の闘病日誌(5)の続き
心筋梗塞の手術も終わり、術後の経過も良好。
年が明けて、2005年の1月、肺の検査にD総合病院の呼吸器内科へ行く。

呼吸器内科のH先生、かなり若く見えるので最初は、インターンの先生かと思ったほどだ。
レントゲン検査だとやはり肺に影がある。悪性の腫瘍の可能性もあるので内視鏡で肺の細胞を採取し検査をすると言うのだ。

その後、呼吸器外科のN2先生(心筋梗塞のN先生とは違います)の内視鏡検査を受け、結果を聞く日がやってきた。

結果は、やはり肺癌だった。転移して出来たものか原発性のものかは分からないと言う。

事前に母に告知していいかどうかのアンケート調査を受けていたので、前回同様、前向きに対処するので告知してくれと伝えていた。
N2先生は、母と私に尋ねる
「肺癌の手術は、かなり負担がかかります。手術をしたからと言って、5年後の存命率は50%以上としか言えません。手術しないで抗癌治療を続けても5年後は生きていられるかもしれません。手術するかしないかは、ご自分で判断してください。」

尽かさず私は、聞き返した「母は手術に耐えうる体力があるということですか?」

N2先生は、
「おそらく今のお母さんの状態なら大丈夫でしょう。もちろん手術となると事前に体力検査はいたしますが・・・」
半年前の母であれば考えられないことだ。
よたよた歩き、目は虚ろで気力の抜けきっていた頃の母に比べれば、なんと幸いなことか、肺癌の手術に耐えられると言ってくれたのだ。

私は母に言った。
「お母さん。1年前は2ヶ月から半年しか持たんて言われたろう。今は、5年も生きられるって言われたばい。手術したら5年以上生きられるかもしれんて言われたろうが・・・。」
「5年も生きてたら、その内、癌は、ひとっつも怖い病気じゃなくなっとうよ。もう一度、頑張ってみるね」
母は、殆ど悩むことは無かった。肺癌と言う胸部を切開する手術への恐怖心は拭えない。しかし、今の母は、生きることに対しての希望のほうが強かった。

「あんたがそう言うのやったら、手術をしてもらおうか」

肺癌手術をしてもらうことになった。
あの時、心筋梗塞でN先生が肺の影を見落としていたら・・・
C病院に入院しないで体力が回復していなかったら・・・
おそらく、自覚症状が現れて肺癌が発見されていれば、母の手術は手遅れになっているかもしれないし、更に高齢になれば手術に耐える体力も無くなっていく。
母にとって、本当にラッキーとしか思えない。

その後、体力測定と、他に転移が無いか検査を受ける。骨髄と脳に転移があれば手術は、しないと言われたが、幸いなことに転移は無かった。

2005年2月、いよいよ肺癌の手術だ。
2004年3月から1年の間に、3回の大手術を受けることになった。

母の闘病日誌(7)へ続く

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このページは、木村知弘が2005年12月11日 16:50に書いたブログ記事です。

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