塾で殺人が

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学校で起こるのだから、塾で起きたとしてもおかしくない。こんな不謹慎な発言が飛び出しそうですが、残酷、哀れな事件です。
 私はかねてから生徒に話してきました。一人の人間には必ず悪魔と天使が住んでいる。どんなきっかけで天使が悪魔に、悪魔が天使になるのかを。それをいかに理性でコントロールするのかを。
 考えてみれば人間は何億と言う精子のただひつとの精子が生存競争に生き残って生命が誕生する。命を欠けた戦いは生命の遺伝子の中に組み込まれた宿命である。
 命を奪うことは食欲の本能と一体的なものでないかと考えます。ただひとつ絶対に奪ってはいけないのは人間の命である。と言うことをしっかり教え込んで置かないと、命を奪うと言う本能が何らかのきっかけです発現してしまう。
 皮肉にも物事の知識を教える教育機関の塾で殺人が起きた。命の大切さ、してはならないことを塾ではほとんど教えていないと思う。
 私の塾は常日頃から道徳、倫理、政治、宗教のことを話題にしている。学校で、家庭で封印され、無視されている分野だからこそあえて話題にしているのだか、生徒によっては余計なことと嫌がる人もいる。塾は、学校以上に地域に開かれていない。水商売的なところがあり、塾開設者の人間性、講師の力量など世間にはまったくわからない機関、存在です。
 このごろ、建築確認の検査機関の信用性が疑われているが、勝手気ままに開設可能な塾は何を根拠に信頼したらよいのか、その辺のところが全く議論されていない。
 少なくとも私、英光学院は自分から自身や学院を世間にさらして評価に耐えうるよう努力しているつもりです。
 講師採用についても、人間性が1番、学力、指導力は2番。なぜなら学力は経験と慣れですぐに対応できるが、人間性は、その人の過去や歴史にまでさかのぼらなければなりません。即戦力として、有望なのは人間性なのです。
 塾長の私が常にこのことを心がけることが何より大切だと思っております。

                   個別指導英光学院
                     塾長櫻井英夫

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このブログ記事について

このページは、木村知弘が2005年12月12日 14:12に書いたブログ記事です。

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