飯塚の鯰田に不登校の生徒を預かるオアシス広場があります。今日は旅立ち式=卒業式にゲストで行ってきました。
3人の卒業生を送るために、仮に在校生10名、指導ボランティア父兄合わせて40名が参加しました。まるで、僻地の分校の卒業式のようでドラマチックでした。
このような支援センターは、居心地がよければよいほど学校に復帰できなくなり、指導加減が難しいと思います。
勉強を教える先生方はすべて手弁当です。公的な援助はありません。本当の慈善事業です。
今日の半日のイベントを通じて、子供たちは自分たちが多くの方々から愛され、大切にされていることを実感できたのではないでしょうか。
今日の出前公演は
尺八 久保誠三郎 涙だそうそう 武田の子守唄
サックス 久保 正 上を向いて歩こう
弾き語り さくらい英夫 筑豊の花 田川燦燦と
の5曲を披露させていただきました。
もちろん公演料も交通費もありません。感謝され褒められたのが最大の報酬です。
私は議員現職時代は幼稚園、小学校、中学校の卒業式に何度も出席してきましたが、今日の卒業式も思い出の卒業式になりました。
シンガーソングライター
さくらい英夫
櫻井さんもボランティア公演でしたか。
後小も卒業式が終わった後に図書室で茶話会がありましたが、そこにエレファントの木村康治さんが宮川葉子ちゃんを引き連れボランティアで演奏に来てくれました。
葉子ちゃんも後藤寺小出身だったんですね。
私は、来賓の接待で演奏を聴きに行けなかったので残念でした。
田川には、こうしてボランティアで演奏活動をしてくれる個人や団体が多数いますね。
プロ活動をされている方には、大変申し訳ないですが、予算のない中で子どもたちに良い演奏を聴かせようと思えば甘えるしかないです。
われわれ大人にとって一番大切なことは、次代の子供たちが安心して暮らしていける地域を作っていくことです。その調整機能が政治です。民主主義、自由主義の現在が物語るように、今の日本は全体としては安定しています。しかし、局所的に見れば田川は、先進地から後進地に立場が180度逆転してしまいました。石炭産業の終結とポスト石炭の後始末が現物支給的な田川振興策に終始したからではないかと考えます。
石炭産業、石炭六法、そのいずれにも私は恩恵を蒙っておりませんが、田川振興のために一汗かきたいと思っております。
それが政治への参加であったり、音楽ボランティアであったり、人様への加勢であったりです。食うや食わずで。 武士はくわねど高楊枝。武士は今で言うところの命を賭けた公人です。公務員階層とでもいえるでしょうか。
無理を承知で医学部受験を志した時から気持ちはすでに武士でした。剣道をやり出してから、ますます武士になりました。
とにかく子供と年寄りは文句なしに好きです。
元東京都神津島剣志会会長
櫻井英夫 剣道5段