きょうの報道番組で某小学校教師が書いた教育評論本「教育は親力だ」が売れているらしいと聞いた。著者本人や文部科学大臣までが出演し親と子の役割、かかわりについて議論していたが、余りにも幼稚でばかばかしくなった。著者本人は極めて真剣だったが、評論家諸氏は半ば冷ややかに茶化していて、何でこんなことを取り上げるのかといった風が感じられた。
教育の現場にいる私としては、まさに親を含めた教育、家庭との協力体制を構築することに腐心しているのだが、著者も現役小学校教師として現場にいる身である。書いたモン勝ち、売れたモン勝ちそんな類の話題本であろう。それが漫画で表現されているのだからしら真剣論評するものでもあるまいが。
何を言いたいか。マンガ本として何を目指したか、大儀は何だったかということである。現代の親は活字を読もうとしない。漫画なら読む。まさに迎合主義で受けを狙った感さえアル。その根拠は、たった10分程度の議論だったが透けて見えた。小学校6年の男の子がいまだに母親のひざに乗って甘えてくる話で、著者は本人が気が付いてやめるまでほっておくと答えた。まさに教育、しつけの放棄ではないか。そんな思想、価値観がまかり通り、大勢を占めていく社会だから、ニート、引きこもりという昔なら考えられなかった人間社会の病理が発生してくるのだ。
絶海の孤島神津島で生まれ育った私は、素っ裸で山野や海原を駆け回り、幼少の頃の島は本土との連絡船は月3回程しか通わず、当然新聞は読まない、テレビも映らない。
そんな野蛮で育った少年でも、当時東大合格者数では日本一の戸山高校に進学し、受験優先の高校生生活を送るライバルをよそ目に野球部に入りレギュラーにもなれた。
島の役場に入り、島の福祉センターでは結婚式の司会進行かたや帝国ホテルでは知人の結婚式で挨拶し、歌を歌ってきた。
思えば高校一年の秋親父は他界、ぐれる理由はいくらでもあったが、現にこうして田川に来てまでも塾を開設し、いくばかりか人様に貢献しようとしている。
そのような時、教育は親力だといってマンガ本を出して印税を手にしようとする根性には極めて胡散臭さを感じずにはいられない。
半分漫画がヒットしていることへのやっかみだか、半分は警鐘である。バブル、オウム、ホリエモン、IT、物事の、論評の一面を見て鵜呑みにするとまた失敗する。 ポピュリズムに流されないようにしましょう。
どうやって社会に適応しながら逞しく生きていくか、これこそが生きる力。理屈で生きていく人には、世間の雑音の入らない、絶海の孤島で10年くらい自力で自給自足して生活することをお勧めしたいし、そんな修行のような生活を達成できたら文句無く弟子入りしたいね。
教育評論家
英光学院塾長
さくらい英夫
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